家族という存在

1月の最初に家族にとって大きな事件があった。
足腰を痛めて弱ってきた祖母に対してとにかく献身的だった母が、祖母に対して「もうサポートできない」と伝え、祖母の看病から手を引いたのである。
 
祖母を気にかけ、通院に付き添い、毎日電話をかけ、保険などの事務作業も行い、医者を見つけてきて・・・。
今まで何年間もこれを当たり前のように母はやってきた。実の母である祖母を思いやる気持ち一心で、具合が良くなってほしいと思ってやっていた。
 
 
でも、これって子供が親に対して「当たり前」にやることじゃない。時間の制約、金銭的制約、体力的制約の中で、母ができる精一杯を「想い」でやってきたこと。だからこの母の行動に対してやって当然っていう気持ちを持ったり、ましてやその行動を批判すること(治療がうまくいかなかったことをたらればで話すこと)は決してやってはいけない。
 
家族だから、血が繋がっているからわかるだろうとか、思っていることが一緒だなんて思ったらいけない。家族も結局別人なんだから、相手のことを思いやって接しないといけないし、そこに甘えを持つと拗れることもある。身の回りにいて甘えてしまうからこそ、大切にして行きたい、そう思った元日でした。